2012年3月27日火曜日

日課

最近、毎朝の日課となってしまった排尿の介護。
日中は自分でトイレにいけるんだけど、朝が何故かダメ。
自分でオシッコが出来ず、モジモジしながらトイレの前で立ち尽くしている。
トイレットペーパーを触ってみたり、洗浄ボタンを押してみたり。

便器の目の前で、「トイレはどこ?」と尋ねてくる。
最初の頃は、俺が自らお袋の目の前で、トイレに座って実演してみせる。

でも、近頃は、見せても話しても「わからない」
照明のスイッチを指差し、「ここ?」

強い口調で説明すると、「・・・・・・」
終いには「トイレはどこ?」と、話が循環する。

なので、強制的にズボンを脱がし、便座に座らせ、オシッコが出るまで押さえつける。
ここが肝心で、押さえつけておかないと、脱いだまま立って歩き出し、立ちション状態に。

その様子を見ながら、猫が悠々と自分のトイレで用を足す。
手足まで拭いて猫用トイレからドヤ顔で戻ってくる。

ドヤ顔なんかしないで、手伝えよ。

2012年3月26日月曜日

次の問題です。

ウチの本家は呉服屋で、地元では古くから皆に親しまれ、永く繁盛した店でした。
しかしながら、時代の波とともに和服自体が取り残され、はたまたファストリテイリングの活況とともに、大きな方向転換をせざるを得なくなりました。
現在は、バイパス沿いに斎場を設け、典礼事業を展開していますが、町の中にある店はその役目を終え、今では介護施設として町に貢献することとなったのです。

で、施設名を公募?したところ、「わぁーか、ちぃーと」という名前となりました。

さて、ここでクエスチョンです。
この「わぁーか、ちぃーと」という意味は、なんでしょう。
皆さん、フリップにお書きください。

ヒントは日本語です。
地元では「あ、なるほど」と理解できる言葉なんですが・・・

では、一斉に答えをどーぞ!

夏祭りの準備

日曜日の朝、「今日、祭りの山車を修理するから手伝って」との連絡があり、寝ぼけ眼で町の集まりに参加。

実家の祭りの歴史は古く、江戸時代から伝わったとされ、そこで使われる山車も相当古い。
毎年、ガタがきているのを補修しながら頑張ってきたけど、山車の骨格となる柱自体がねじ曲がってきていて、そのせいか、山車全体がぐにゃりと歪曲してしまった。

これはもう直すしかない!(買い直せない・・・)との決断により、山車小屋から引き出し、修理をお願いすることになった。

大工の棟梁曰く、化粧を施した欄干や擬宝珠はそのまま、山車をぐるっと囲んだ台座部分を取り出すことに。

しかしながら結構厄介で、柱と柱が組み込み合って、そこに太い釘や楔が打ち込まれていて、化粧彫りの柱を傷つけないように解体することが難しい。

途中、コメリで何回か道具を買い込んで、釘をバールで抜き出し、ハンマーで叩き、糸鋸で釘を切り取って、なんとか解体成功。
でも、途中で棟梁がいなくなっちゃって、どこまで解体すればいいかわからず、向かいの食堂の父と、まるで子供がおもちゃを壊すみたいに楽しみながら、粗方取り外してしまった。

夕方参戦した、靴屋の主人から「やりすぎ!」とのご指摘・・・
確かに・・・やり過ぎたかも。

あとで棟梁が組み直す際に、順番がわかんなくなっちゃうほどやってしまった。

でも、今年は山車が新しくなると思うと、桜が咲く前からワクワク。
きっと、町のみんなも、自分の仕事が空いた時間に修理の状況を見に来ては、あーでもない、こーでもないと、一緒になって直していくことでしょう・・・

皆、祭りが好きなんだよね。

さ、俺もまた来週あーそぼっと。

2012年3月24日土曜日

通夜参列

同級生の旦那が亡くなった。
本人は最後まで諦めず、会社に戻って仕事を頑張るんだ、といって息を引き取ったそうだ。

通夜には、そんなご主人の気丈さが伺えるほど、沢山の方が参列された。
同級生も皆顔を揃えた。
もう、こんな感じでしか、揃わないのかなぁなんて思うと寂しいが、そんな歳になってきたのだと実感する。

ご主人を失ったこと、二人の子供の将来を任されたこと、今までの介護から解き離れたこと、喪主として凛と立つ同級生の姿が、強く、刹那であった。

お棺を拝ませていただいたご主人の御顔は、今までの家族の援助を労うように穏やかに微笑んでいた。

生命、魂・・・
この世で一生懸命に輝き、やがて終わりを迎える。
生を受けたものは、いつか必ず訪れる「死」

身体は無くしても、精神は生き、いつか蘇るという宗教の教え

でも、蘇らないんだよ。
「無」なんだ。

その先に自分という存在は、無い。
二度と、ね。

だけど、「死」を怖がっていては、現在を生きる証しを残せない。
みな、死ぬために生まれたんじゃない。
生きて、自分の人生を楽しみ、感じ、全うするために、生まれたんだ。

最期の最期まで、一生懸命に生きたご主人に敬意と哀悼を捧げます。

合掌。

羽ばたけ!

会社の後輩が、家庭の事情で福岡の実家に帰ることになった。
11年間も免税事業の部署で頑張り、すでに会社ではエキスパートの存在になった。
本人から、会社を辞めるまでの苦渋の選択について、夜を明けて聞かされた。
当人の先輩にあたる人にも、何度も相談し、何度も説得され、飲み交わしながら決めたそうだ。

今までの思い出は、一夜限りでは語りつくせず、辛かったことや楽しかった失敗など、話は次から次へと湧いて出てくる。

交わした酒は数えきれないほどテーブルに散乱し、上司先輩後輩が無礼講に大声で笑いあう。
始発が来るまで飲み明かした
皆、真剣になってそいつの将来を考え、今までの苦労をねぎらう。
後輩を思って喧嘩し合ってる先輩もいる。

いい会社だなーってつくづく思う。
そして、つくづく、会社は、「人」で出来上がっているんだ、と感じた。

会社には大きな穴が開いてしまったけど、本人の清々しい笑顔は、積み重ねた苦労と会社への愛着を超えた決意が表れていて、なんかカッコよかった。

隆児!お疲れ様でした。
福岡での新しい事業の成功を祈っています。

2012年3月21日水曜日

競馬かっ

今日の昼飯は空港内の麺処。
蕎麦がシコツルで、結構お気に入り。
春野菜の揚げ浸し冷蕎麦を美味しくいただき、楊枝をくわえて出てきたところ、何気なく入口脇にあるロウサンプルのメニューを見ていたら・・・

あれ?

プレミアムモルツ(中ジョッキー)って書いてある。
きっと、週末のレースを予想しながら作った感のあるネームに、ちょっと笑えた。

今週末は中山の第60回日経賞。
常勝マイネルキッツか?

小さな世界

最近、母親の認知が更に進み、最近は「何か」を探そうと、家じゅうのありとあらゆる扉や引き出しをかき回し、色々なものをいじってしまう。
安全なものならいいが、特にキッチンは危険がいっぱい。

この間は、ガスコンロに焼きそばの麺を、ビニールに入ったまま直接乗せて点火し、危うくボヤになるところだったり・・・
包丁が床に転がっていたり、ゴミ箱に捨てた生ごみをあさっていたり・・・・

そんな行動を抑止するべく、母が部屋から出られないよう簡易な扉を作った。
きちんとした扉だと、介護訪問に来た人たちとの会話ができず困るだろうと、素材はラティスにした。

効果はバッチリなんだが、お袋の目線で考えた場合、自分の部屋からはトイレしか行けなくなったため、一日中閉塞感があり、辛くなってしまわないだろうか?と考えてしまう。

しかしながら介護センターの方々からは、「ナイスアイデアです」と褒められた。
俺の心配など、笑って吹き飛ばされた。
「大丈夫。本人もそんな風には考えてないです。辛いなんて感情はもう無いと思います。」

そっか、大丈夫なのか・・・
でも、そういう感情がなくなってしまう、っていうことにショックを受けた。

辛く感じることを、記憶として覚えられない、ってこと。

今日も一日中部屋の中で、一生懸命何かを探して、何かをいじっている。
時に衣類、TVリモコン、掛布団、仏壇、石油ストーブ・・・そして、自分の排泄物・・・

治ることのない病気。
戻ることのない、気高く元気な母親。


ラティスの間から覗き見る小さな世界は、辛くない?

2012年3月18日日曜日

生きていこう

高校の同級生の旦那が癌で倒れ、俺と同じように毎日介護で頑張っている。
もう、何度も手術を繰り返し、これが多分最後の手術と言われ、頑張って乗り切った。

術後の状態が思わしくなく、苦しんでいるという。

病院も、家に帰ることを・・・勧めた。

時折、崩れるような声で俺にこぼす。

俺は応援することしかできない。
でも、俺の父親が亡くなる時を思い出したように、自分に言い聞かせるように、精一杯応援してあげよう。


今まで、家族と一緒に歩いた道のりを、思い出しながら、沢山話してごらん。
苦しかったことも、怒ったことも、笑いあったことも・・・

澄んだ緑
見上げて広がる青い空と雲
家族で並んで踏んだ夕暮れの影・・・

過ごした人生を、大切な宝を、贈ってあげるんだ。

自分だって、いつかは訪れる
世界を違えて、大切な人を残してしまう時が

その時は
夕日に探してごらん
向こうの世界から手を振って
また会えるよ、と微笑んでいるから

生きていくこと
貫くこと

精一杯に

頑張れ!サチ!

Puzzle

久々の休日。

床掃除に便所掃除、ゴミ片付け、洗濯、アイロン掛け・・・
食事の買い出し、灯油補給。

お袋の介護。
薬を飲ませて、おむつを取り替える。

昼飯、夕飯作って、後片付け。
食後、落ち着かない母親をあやして寝かせつける。


いつもの週末が終わる夜、何気にYou Tubeで見た歌に、心の涙がこぼれた。

「パズル」

http://www.youtube.com/watch?v=QpKD4fC2F24

歌詞が、胸の奥にある、はまらなくなったピースを見つけ出した。

2012年3月14日水曜日

惨劇

なんだか今日は早く帰ってこなきゃ、という衝動にかられ、羽田からわざわざリムジンバスで3000円かけて急いで帰路についた。

家に帰って玄関を開けた途端、異臭が鼻をつく。
家の中全体が、公衆便所のような、顔が思わずねじ曲がるような、そんなニオイ。

お袋の部屋をのぞくと、原因が・・・・
敢えてUPした惨劇
部屋中いたるところ糞だらけ。

しかも塗りたくった、というか、こすったような跡・・・

見たくない光景を敢えて凝視し、正確な状況判断を行なわなくては・・・
視線を移すと、部屋の片隅でケツを丸出しにしてうずくまっている母親を発見。

よく見ると背中から横顔にかけて被害が広がっている。

そうか、自分の糞で滑って転んだんだな?
なんだか泥レスリングで一戦交えたあとのよう・・・

どこから手を付ければいいのやら・・・

ありったけのキッチンタオルでブツを回収し、熱湯を浸した雑巾で床を何度も拭き取る。
バケツはすぐに褐色に。

最後に本人の尻拭い。
そう、まさに尻拭い。

出火元は悲惨な状況。
何度拭いても拭ききれないほど。

最後に手、指を拭き取る。

俺が幼いころから、器用な手先で裁縫を行い、何度も夜なべしながら和服を設え、その出来の良さに沢山の顧客が集まり、和裁学園の先生まで務めた、その指先は、もう針や糸を巧みに操ることもできず、己の恥で褐色に染まり、朽ち落ちる。

タオルで何度も拭うその手は、失せる記憶を追う力もなく、虚空を彷徨う。



「生きる」とは、何か・・・・
「死す」とは・・・

シェー!

吾輩は猫である。

TVでは震災1年を迎え、なんだか様々な追悼イベントが行われているらしい。

そんなこと、よくわからんのである。
だって猫なんだもん。

この格好で寝るのが好きなのである。

危険予知?
なんだそりゃ?

本能的防御?
知らない。

だって猫なんだもん。

東北復興支援ライブ(H24.3.11)

関西空港からスタートし、羽田空港を経由して仙台空港へ復興の祈りをつなげるトーチランコンサート。
これを頼もしい部下たちが発案し、各空港に声掛け、有名歌手を引っ張り込み実現させた。
普通だったら電博使って進めるところ、どこのプロデュースも受けず裸一貫でやり遂げてしまう。
なんて凄い奴らだろう。
自分の部下ながらホトホト感心する。


柱上部まで水に浸かった。

3月11日は仙台空港でのライブイベントが実施された。
午前中はさとう宗之さん、午後はMIKIさん、そして上田正樹さんへとつないでいく。

仙台空港は津波で一階部分が水没した。
TVで何度も空港が津波に飲み込まれる悪夢のような光景が映し出された。
犠牲者も出た。
多くの悲しみと苦難を乗り越え、1年を待たず仙台空港は復活を遂げた。
その場所で、追悼を込めて皆が歌を捧げるのだ。

午後2時46分。
悲劇の時間を迎えるころ、会場には続々と人が集まってくる。
これから旅立つ人、到着した家族、空港で働く社員・・・・
皆、イベント会場に寄り沿う。

そして、合図とともに黙とう。

この1年の辛い思い、悲しい出来事、枯れぬ涙、折れる勇気、強い気持ち、熱い仲間・・・
自分は経験していないはずなのに、そんな思いが何故か、目を閉じた脳裏に怒涛のように浮かんできた。
自分は経験していないはずなのに、大粒の涙がこぼれた。

心が震えた。
この大震災が身体に刻まれた、そんな瞬間だった。

まだまだ問題はたくさん残っている。
これで終わりではない。
これから、また1年、また1年と、復興への努力を積み重ねていかなければならない。

重く圧し掛かってきた一日だった。






仙台空港からの帰路、電車の窓から見えた仮設住宅。
道路に転がる船。


東北は、負けない!

2012年3月13日火曜日

NHK取材②

朝5時半から現場集合し、まずは顔合わせ。
関口アナウンサーの爽やかな笑顔と対象に 思い切り寝不足な俺。
目はショボショボ、顔は引きつり・・・・
一回目のリハーサルでは思いっきり噛んでしまい、目が泳いでしまう。
二回目の前にベシャリの尺が13秒に決まり、話す内容を頭の中で整理。
途中、広報室の同期から応援のチャチャが入る。
「表情が硬いよ!」と言ってほっぺたを引っ張られ、リラックス。
何でも二回目のリハを東京本局と調整し、ダメ出しのあと本番に望むらしい。

本番直前に関口アナウンサーから「元気に」というフレーズを入れたらどうか、というアドバイスに、慌てて頭の中の原稿を書き直し、本番撮影開始。

軽快な口調で進む関口さん。
東北物産を丁寧に紹介しながら俺の方に近づき、ADの指出しキューがはいる。
「では、今回の東北物産展を企画した・・・・・」
カメラと共に眩しいライトが目を襲う。
眩しさに目をショボショボ、パチパチされながらリポートに応える。
噛まずに話し始める。
お、いい感じで口が回ってるぞ!
よし、これで「元気」というフレーズをいれて締めよう・・・
っとした途中でカメラはまた商品へパンして撮影してる・・・・
あれ?
ちょっと!
俺写ってないじゃん!
こっちだって!
と思いながら話を締めて撮影終了。

周りの関係者達は俺が変なこと話さないか心配だったのか、安堵の表情。

撮影終わりに貰ったNHKからのプレゼント。
関口さんから受け取りながら、次の朝ドラに出たいと後を追いかけながらせがむ。

周りからは、落胆のため息。

2012年3月5日月曜日

NHK取材

今日は羽田空港で3月に行なっている様々な復興支援イベントの件で、NHKの取材を受けることに。
おはよう日本の生放送で、僭越ながら俺が一言コメントします。
5時45分にスタンバイし、本番は7時45分から。

エクセル東急に前入りし、早く寝ようと考えていたのになんだか寝つけず、睡眠不足。
まー慣れているけど・・・

さて、ノドをうがいして、美声を出せるように発声練習でもしとくか。
なんせ全国放送だからね。
髪もきちっとまとめときましょう。

あ、鼻毛出てる。