2011年4月28日木曜日

あるある探検隊

目の前で駆け回っている子供を見て気付いたこと。
元気な男の子に限って、右左逆に靴を履いてることが多い。

2011年4月27日水曜日

レーシック術後(1週間目)

レーシック手術後1週間目の検診。

視力検査で遠くの盤面の小さい文字を見るたび、検査員から「目を細めないで」と言われる。
自分ではそのつもりじゃないのに、いままでの癖で目を細めてしまう。

目を細めなくても見える。
一番小さい文字も、読み取れる。

検査結果は、右目が1.5、老眼治療の左目は1.0
目標値がそれぞれ1.0だったので、右目は見えすぎ。

今まで、右目のほうの視力が悪かったこともあり、最近の見え方に違和感がある。
左目も1.5になればいいのに・・・

最後に専門医より網膜やレンズの詳細を調べてもらう。
暗い個室で、機械に顎を乗せ、頭を固定され、強い光を斜めから目に当てられる。

こっちはただ眩しいだけで、なにを見られているやら・・

最後に、さらに変な機械を直接目に当てられる。
機械がピピピピ、ヒョー、ヒュワー、とか変な音がでる。

ちょっと怖いけど、他人にコンタクトを入れられているような感覚で、痛くもかゆくもない。

これを5分くらい?行なって終了。

結果は問題なし。
眼圧とかレンズを測ったのだろうか・・なんだかよくわかんないけど問題なし。

少し目に赤みがあるので、ということから大量の点眼薬をもらう。

現在の視力の状況は大変良好。
遠くもはっきり!
とっても快適。

老眼治療の左目が若干暗く感じるのは夜だけ。
日中はほとんど感じない。

老眼対応は、左目(治療したほうの目)で近くの細かい文字を認識させる癖をつけること。
利き目が右目なので、ついそっちの目で見てしまうため、まだ見えづらい。

この癖に、通常3カ月かかるとのこと。
まー気長にやっていきましょ。

2011年4月24日日曜日

言葉をつなげよう

母親の言動は、自分で話している途中で、何を伝えたいのかわからなくなる。

「この荷物は誰に返すの?」
「この荷物って?」
荷物が何を指しているのか、わからない。

「皆帰った?」
「皆って?」

「じゃあ、あした帰ってくる?」
「誰が?」

目は真剣に俺を見ている。
やがて、自分で言っていることがわからなくなって、目線を下にやり、なんだか茫然を立ち尽くす。

ゆっくり方向転換し、キッチンにいって何かを探し出す。
探しているものがわからず、しばらくするとまた俺のところに来て、話し出す。

「誰のやつ?」
「何が?」


毎日、こんな会話を続けている。

きっと、言葉はどうでもいい

さびしくて
何か話したくて
安心したくて
心をつなぎたくて・・・・・
キャッチボールがしたいんだ

だからきちんと答えよう


「あれに乗せればいいの?」
「いや、こっちに乗せてみよう」

何を乗せるのかはわからない
でも絶対何かを乗せてやる

だから安心しなよ、ね。

春うらら

昨日の雨が嘘のように止み、日曜日はいい天気になった。

朝寝坊も早々に、布団干し、洗濯、掃除、キッチン周りの片付け、ワイシャツのアイロンがけ、朝ご飯・・・

春の陽気。
ポカポカの太陽。

窓を開けて、うららかな空気を家じゅうに通しておこう。

一気に仕事を片付けて、町の近くを流れる川沿いで昼飯でも食べようっと。
川沿いの土手は、明るい緑色の芝生が絨毯のよう。

ゴザを敷いて、近くのスーパーで買った焼きたてのパンをかじりながら一休み。

空に流れる雲がおだやかに笑う。
柔らかい日差しと、新緑の匂い。

芝生に寝転んで、両腕を頭の後ろで組んで、空を眺めながら、ゆっくり目を閉じる。

春うらら。

2011年4月19日火曜日

レーシック術後(1日目)

朝、目覚めた時から周りの景色が普通に見える。

朝、充血気味の目に無理やりコンタクトを装着する作業は非常に辛く、 何度か失敗して眼鏡にすることも多かった自分にとって、この上ない喜びである。

まさにストレスフリー!

電車の中吊り広告は、向正面上部の細かい文字まで、目を細めることなくスラスラ読める。
勝手に目に飛び込んでくる感じ。

辛かった新聞の小さい文字も、離して見る必要もなく一気に読める。
文字が幾重にも重なることなく、にじむことなく、途中で読み辛くなることもなく情報収集できる。

正確に言うならば、老眼治療を施した左目は、若干暗く見える。
特に夜は一層暗く感じる。
また、若干のハローがあり、明るい光が拡散する。
しかし、近くの小さい文字認識は全然辛くない。

一方、レーザー治療のみの右目は、ハローもフレアもなく、遠くのものがはっきり見える。
しかしながら、近くの文字は見えない。

今後のトレーニングで、遠くを右目、近くを左目で見る習慣をつける。

これにより遠近両用となる。

元々の視力は、右目が0.1、左目が0.2
今日現在、右目は1.5、左目が0.9まで回復した。

通常3ヵ月の遠近視力訓練で完全に回復するという。
訓練といっても、5分程度細かい文字を読み、その後3分遠くを眺める、といったことを1日数回続けるだけ。

普通に生活していれば、普通に訓練できてしまう。

ただし、メンテナンスとして点眼が大変。
炎症を抑える薬を毎1時間ごと、雑菌を除去する薬を毎1時間ごと、涙液を安定化させる薬を30分ごと、目の渇き、不快感を除く薬を適宜・・・

どれがどれだかわからず、結局なんだか適当にバンバン目薬指してる状況・・・
ま、ドライアイになるため、常に点眼しているほうが楽かも。

ほとんど点眼涙目状態なのでハンカチが必需品となります。

2011年4月18日月曜日

レーシック手術当日

とうとうやってきました、レーシック手術。

夕方、有楽町の駅前にあるビルの14階でいざ受付。
待合では沢山の患者さんが・・・・

ほどなく、名前を呼ばれ、再度視力検査。
毎回、本人確認のため、生年月日と住所を聞かれるけど、ちと恥ずかしくて小声で。

視力検査場は何台もの検査機器があって、まるで工場みたい。
眼底写真、視力、眼圧検査を終えて、再度細かい視力検査。
検査台数も半端じゃないほどの台数が並んでいる。
数えたら22台!

裸眼視力は、視力検査の一番上の「C」がうすぼんやりして、ほとんどわからない。
眼鏡屋でよくかけさせられるカトちゃんメガネみたいなものにレンズを入れ替えて、何度も細かくチェック。
そして今度はやたら小さい文字が並んでいる本を手元に持たされて、見えるかどうかの再確認。
暗室に入って、眼球細部の写真撮影。

検査で約20分くらい。

それが終わったら今度は手術内容の説明。
1つ下の階に降りて、手術室へ。

再度、担当医師が、強い光を目に当てながら網膜や傷の確認。
検査のたび、目を大きあけてたから、ちょっと目疲れ・・・

小さい待合室で5~6人が集められ、点眼麻酔し、10分ほど休憩。
眼は普通に開けててもいいらしく、置いてあった雑誌をパラパラと。

再度、名前を呼ばれ、生年月日を告げ、いざ手術室へ。
部屋の前では、一列に並んだ椅子に4人ほどが座らされ、順次手術室へ促される。
一番先頭だったので、ほとんど待つこともなく中に入ると、大きなベッドに寝かされる。

顔の前に大きな機械が移動してきて、再度点眼麻酔。
右眼の周りになにか器具を装着される。
多分まばたきしないようにするためのものだろう。

目の前にある大きな機械から、カメラのレンズのような砲筒が降りてきて、大きな光を目に当てられる。
眼がくらむ。
光で何も見えなくなる。

ちょっとビビッてたけど、もうまな板の上のコイ。
何をどうしても任せるだけ。

レーザーで目の表面の膜を丸く切り取る作業が行われる。
片眼だいたい10秒くらいだろうか、なんだかあっという間。

両眼終えたら、周りがぼやけてスリガラスのような景色に。
よく見えないまま、次の手術室へ移動。

同じ手術室で一気に行なうんじゃないんだ・・・なんて考えながら、ぼんやり移る廊下を歩く。
医者から「今日は術後こんな感じでしか見えませんから、気を付けてください」と言われ、「なーんだ、すぐに見えるわけじゃないんだね・・・」と、ちょっと失望感。

別の手術室に入ると、今度は、切り取った膜を剥がし、レーザー照射して内側のレンズを「はつる」作業。
また、同じような器具を装着されると、やたら目に沢山の水みたいなものをかけられ、ぼんやりと映ったピンセットが目の表面の膜を剥がしていく。
まるで、医師にコンタクトレンズを外された感じ。
景色がわからないほど見えなくなった。

なんだかプールの中を裸眼で見ているような感覚。

そして、レーザー照射。
横で女性看護師らしき人が「50%・・・80%・・・・はい間もなく100%です」と告げると同時に毛が焼けるような変なにおいが・・・

多分レーザーで焼いているんだろう・・・あまり考えないようにしよう・・・・
でもあっという間。
恐らく数秒。

今度は、また別の手術室に移され、老眼用の「カメラ」と名付けられたものを、レンズに埋め込まれる。
この「カメラ」と呼ばれる非常に小さい円盤みたいなものには、中央に更に小さい穴が開いていて、そこから目に飛び込む映像の光の侵入を弱めることで、小さい文字が見えるんだそうだ。

老眼の方だったら、試しに、黒い紙に針で穴をあけ、そこから覗いて小さい文字を見てみると効果がわかる。

で、その「カメラ」を移植され終了。

多分、実際に手術にかかった時間は、恐らく2~3分ってところだろう。
本当に、あっという間。
しかも痛みや圧迫感も全くなく、ただ強い光を当てられ、眩しさのなかで行なわれた感じ。

その後は、ゆったりした椅子で約40分くらい目を閉じて休憩。

手術中に言われたように、まだ暫くぼんやりとしか景色が見えないんだろうから、今日はどうやって帰ろうかなあ、なんて思いながら本気で寝てしまった。

看護婦さんに起こされ、今度は目薬の説明。

ん?あれ?
なんだかすごく良く見えるぞ。

「すみません、すごく良く見えます!」
思わず叫んでしまった。

横で一緒に聞いていた患者さんたちが「そんなはずねーだろ・・」ってな懐疑の目で俺を見ている、その表情までもよく見える。

執刀医が来てくれて、再度細かく目の検査を受ける。

「すごいですね、今までの症例中、これほどまで回復が早い人初めてです」
なんだかほめられちゃった?

他の医師も見に来て、俺の目を検査して驚いていた。
野生人ってことか?


帰りは、直接目にゴミなどが入らないよう、花粉症の人がつけるような透明のゴーグルみたいな保護メガネを付けさせられるんだけど、そのビルから有楽町駅に向かう人たちが皆同じゴーグルしてるからなんだか笑える。

帰りの電車では、中吊り広告見てその凄さに実感!大感激!
家に帰るころは、遠くも近くも更に良く見えてきた。

眼鏡やコンタクトに悩まされなくなるのは、きっと明日から実感として湧いてくるだろう。

紹介チケットをもらってきたので、希望する方いたらお配りします。手術費用5万円引きだそうです。

2011年4月16日土曜日

今日の夕飯

今日の献立。

けっこう美味し!
あるもので作りましょう。

さーて・・・・
ベーコンと豚バラ、ピーマン、ブナシメジ・・・

適当に炒めて、醤油少々、みりん少々に塩コショウ。
最後に生姜を入れて、ごはんに盛る。

とにかく盛る。
丼好きの俺には結構そそる絵になったかも。


題して「余豚丼」・・・・

2011年4月13日水曜日

レーシック手術

今日は視力の話。
小さい頃は視力に自信があり、視力検査で並んでいる列の一番後ろから覚えておいて、両目を閉じてソラで全ての文字と、「C」の空いている方向を唱えるように答えて拍手をもらったこともある。

しかしながら、勉強のし過ぎが影響したのか、高校生の頃から視力が落ちはじめ、裸眼では視力検査の一番上が見えなくなった。

裸眼での出来事。

ラーメンを食べようと、眼鏡が曇るので裸眼で食べてたら、大きな煮卵があったので箸で潰さないように丁寧に掴んで口に入れたらレンゲだったり・・・
夜中、薄暗い照明のなかキッチンを彷徨っていて、ぐさっと足裏に激しい衝撃を感じ、ガラスを踏んづけたと怯え、あちこちぶつかりながらしゃがみ込み足の裏を見たら、煎餅だったことも・・・

眼鏡やコンタクトがなければ、日常の生活ができない。

しかも乱視。
映像が重なるのでティーアップしたゴルフボールは、どれを打っていいのかわからない。

苦労しながらなんとか頑張ってきたが、最近小さい文字が見づらくなった。
眼科で調べてもらったら、老眼。

なんとかならないものか。

後輩や同期が人気のレーシック手術を受け、大変に良い話をするので、いっちょ試してみようと最大手の有楽町駅前にあるクリニックへ。

さすが最大手。
設備も従業員も対応も素晴らしい。

聞くところ検査は無料なので、まずは適応可能か調べてもらった。

結果は、稀に見るレンズの厚さだと。
何回でもレーシック手術が可能です。

これはやるか!と奮起し、手術を申込んだ。
近眼、乱視、老眼を全てを治療する。

今度の日曜が決行日。
ちょっとビビってる。

下腹部切った時は全然だったのに、五感に通ずる部分は何故か嫌なものです。

術後のブログをお楽しみに。

2011年4月10日日曜日

昭和の冷蔵庫

前々から調子の悪かった冷蔵庫。
毎週お漏らしをして、ドレンパン(冷蔵庫の下の水受け)から水が溢れだす。
なぜかっていうと、ドアがきちんと閉まらないから、冷却が追いつかなくてフル回転しているため。

まー、長く使っている。

俺が小学生くらいの時に買ったものだと思う。
あのころの冷蔵庫って、何で緑色が多かったんだろう?
そういやサザエさんちもそうだなぁ。

昔の象徴の色ですな。

震災で、さらに症状が悪化したため、買い替えることに。

納品前に冷蔵庫を動かして、床を見たら・・・
なんと、床が腐っている。
しかもなんだか得体のしれない食品だったものも張り付いてる。

ふえー・・・

慌ててDIYで床を補修。
念のため、腐食&シロアリ防止剤を塗って、その上から板張り。

ひと汗かいて、床補修が出来上がった良いタイミングで、電気屋さんが新しい冷蔵庫を届けに来た。

床の補修もバッチリ!色ちがうけど・・
俺も手伝って、ささっと終了。
今度は黒い冷蔵庫。
なぜ黒かって?
それはめっちゃ安くなったから。

本当はもっと小さいのを買おうとしてたんだけど、実はこのサイズ(275L)が一番中途半端なサイズで、ラインナップも少ないそうだ。
確かに、1人じゃ大きいし、家族で使うには小さい。

なるほど。

で、白家電と呼ばれるのに黒くて、中途半端なサイズの冷蔵庫に。

でも、収めてみるとなんかいい感じ。

緑の冷蔵庫、おつかれさまでした。
自分たちが小さいころから、食を守ってくれました。
ありがとう。


昭和から平成へバトンタッチした冷蔵庫。
時代は進んでいくけど、母親の記憶と、その記憶の中で生きている母はまだ昭和の時代。

変えていかなくてはならないもの
変えてはいけないもの、がある。

どんなに古くなっても、地震で歪んでしまっても、母の住む環境を守ろうと決めた。


その母親は、業者が養生用に持ってきた毛布を持ち帰ったら、「うちの毛布を持って行くな」とひと騒ぎ。

環境を守れるのか・・・・

2011年4月6日水曜日

いざと言う時のために

最近の母は、テレビではどのチャンネルでも震災の情報とオシム監督しかやっていなかったら、さすがの認知症でも覚えてきたらしく、日本のどこかで地震が起きたらしいと言うようになった。

この頃群発する箇所が東北から茨城県沖へ南下していることもあり、住んでいる千葉でもよく揺れる。


そのせいか、寝るときには大事なものを枕元に置いている。

その中身は・・・・

何だ?

壊れた懐中電灯2本と電球
カーテンを纏める帯

んー・・

気持ちはわかる、わかるぞー。

2011年4月2日土曜日

トイレの花子さん

今日も仕事が終わらず休日出勤。

成田空港で電車を乗る前に、トイレに立ち寄った。
入るなり、長い黒髪できゃしゃな感じの、グレーのニットのワンピースを着て、黒タイツを履いた女性が出てきた。

あれ?

俺、トイレを間違った!
慌てて出てきて、入口の表示を確認したら、やっぱり男性トイレ。

んー???

じゃ、その女性が間違って入っちゃったのかもしれないなー、なんて考えながらトイレに入り直し、小便してたら、便器の上に花柄のかわいいタオル地のハンカチ。

???

気にせず手を洗って用を済ませようとしたら、さっきの女性がまた入ってきて、慌ててハンカチを取っていった。

???

じゃ、やっぱり男性?
オカマ?

???

ワンピース着て立ち小便かよ!
黒タイツ下げてしたのかよ!
(サマーズ三村風に)

あとで色々考えたら、笑いが止まらなくなった。
誰か目撃してなかったかなー。