お向かいの食堂のおばあちゃんが亡くなった。
94才、大往生・・・・といいたいところだけど、ウチのおふくろと同様に認知症が進み、家族は大変な思いをされた。
にぎやかな席が好きで、酒をたしなみ、踊りも上手だった。
おしゃべりで、人の世話が好きで、手先が器用で・・・・
写真に残る若かりし日々の思い出は、どれも沢山の人たちに囲まれ、やさしい笑顔が溢れていた。
しかし、認知が始まると、生活が一変したという。
その凄惨ともいえる事態を、家族の愛で包んでいた。
そのおばあちゃんの長男にあたる今の店主の想いは特に大きかった。
「自分が面倒を見るのはさ、だって死なれてからじゃ悔いがのこるだろ」
「無理はしなくていい。自分ができることで充分」
そういって笑いながら苦労など微塵も見せずに戦っていた。
そればかりか、俺のお袋の認知までも積極的に面倒を見てくれている。
懐が深い・・・
認知症に関しては、ウチの先をいってるんで、よく対処方法を教えてくれた。
それだけ大変な思いや苦労が、経験として積み重なっているんだろう。
おばあちゃんの逝ったお顔はとても安らかだった。
きっと、最期はご自身も辛かったにちがいない。
やっと・・・やっと・・・・ゆっくりできるね。
沢山の家族、親せきに送られ、魂が線香の煙のようにゆらりと昇天していった。
ご家族も、やっと、落ち着けることだろう。
死して幸せ。
どう生きて、どう死ぬか。
これは、生を受けた私たち全員のテーマだ。
おばあちゃん、安らかにお眠りください。
合掌
0 件のコメント:
コメントを投稿